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茶道を始めるにあたり、三千家(茶道)の違いが気になりますよね。
茶道の流派には、それぞれ異なった特徴があります。
三千家(茶道)の違いについて、三千家の歴史や家元についても解説します!
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三千家とは
三千家は、「さんせんけ」と読みます。
茶道についてあまり知らないという人でも、「表千家(おもてせんけ)」や「裏千家(うらせんけ)」という言葉を、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
抹茶は、鎌倉時代に中国から伝わってきたのがはじまりです。
そこから様々な流派が生まれ、なんと500以上の流派が存在すると言われています。
その中で一番メジャーな流派が、「表千家」、「裏千家」、「武者小路千家(むしゃのこうじせんけ)」から成る三千家です。
なぜ三千家がメジャーなのでしょうか?
それは、千利休(せんのりきゅう)の孫である千宗旦(せんのそうたん)の子どもたちが作った、千利休から続く流派だからです。
その「三千家」について、じっくりご紹介いたしますね。
三千家の歴史
まずは、三千家の歴史をご紹介します。
千利休
千利休という人物は、茶の湯を大成した人として有名ですよね。
千利休は堺の豪商出身でした。
千利休は独自の美意識で、当時珍重されていた中国や朝鮮の茶道具だけではなく、国産の茶道具を開発。
簡素、静寂な境地を重んじた「わび茶」を大成させました。
千利休は織田信長の茶道指南役となり、「本能寺の変」以降は豊臣秀吉に仕え、茶の湯をより一層普及させました。
豊臣秀吉は、千利休を「茶頭(さどう:茶の湯をつかさどる役)」としてや、政治のブレーンとして重用。
しかし、次第に千利休を疎んじるようになり切腹を命じ、千利休は70歳で自刃しました。
豊臣秀吉が千利休を疎んじるようになった理由は諸説ありますが、はっきりとしたことは分かっていないようです。
千少庵(せんのしょうあん)
そして千利休の死後、千一族は不遇の時代を送ります。
千利休の養子である千少庵は地方に逃れ、謹慎生活を送りました。
その後、徳川家康などのとりなしで、豊臣秀吉から千家再興が許されます。
そのあとは、千少庵は京に戻り、茶室を建て、千利休の茶を守ることに努力しました。
千宗旦(せんのそうたん)
そして、千少庵の子・千宗旦は後を継ぎ、千利休の意思を継いで「わび茶」を確立させていきます。
千宗旦は、祖父・千利休の悲劇的な最期を思いやり、あえて権力と交わることを避けるために、大名家からの仕官の誘いを拒み続けました。
そして、亡くなるまで清貧を貫きました。
しかし千宗旦は、息子達の将来についての考えは違ったようで、それぞれ大名家に茶頭として仕官させています。
千宗旦の次男は「一翁宗守(いちおうそうしゅ)」。
一翁宗守は、讃岐の「松平家」へ仕官。
そして、武者小路通に面した茶室「官休庵(かんきゅうあん)」を拠点としたことから、「武者小路千家」と呼ばれるようになりました。
千宗旦の三男は「江岺宗左(こうしんそうさ)」。
江岺宗左は、紀州「徳川家」へ仕官。
そして、寺之内通に面した茶室「不審菴(ふしんあん)」を拠点としたことから、「表千家」と呼ばれるようになりました。
千宗旦の四男は「仙叟宗室(せんそうそうしつ)」。
仙叟宗室は、加賀「前田家」へ仕官。
そして、表千家の裏にある「今日庵(こんにちあん)」を拠点としたことから、「裏千家」と呼ばれるようになりました。
こうして、茶家としての三千家の基礎が固められました。
ちなみに、長男は千宗旦から大いに期待されていましたが、何かと折り合いが悪かったそうです。
ついには勘当され、父・宗旦よりも早くに亡くなりました。
期待を背負って長男が反発することは、古今東西、あるある話なんですね…。
三千家はなぜ有名?
このようにして、千利休の教えを受け継ぐ三千家ができました。
そして実は、表千家の7代・如心斎(じょしんさい)が、「千家を名乗るのは表千家・裏千家・武者小路千家(の長男)とし、二男三男にはこれを名乗らせない」と定めました。
他の二家もこれを了承したため、千家がどんどん増えるという事態はなくなりました。
このようにして、茶道で千家といえば表千家・裏千家・武者小路千家の三家のみに。
だから、現在でも「千」を受け継ぐ三家として有名なのですね。
三千家の違い
千利休から続く流派の三千家ですが、扱う茶道具や作法について、少しずつ特徴があります。
代表的な違いの例をあげて説明しますね。
表千家
三千家の中で、表千家はいわゆる「本家」に当たります。
よって、現在も保守的で伝統を重んじる流派で、道具や作法は質素です。
【道具、作法の特徴例】
- 抹茶:泡立てない
- 茶筌(ちゃせん):煤竹(すすだけ)でできた茶筌を使用
- 畳の歩き方:左足から部屋に入り、一畳を6歩で歩く
- 帛紗(ふくさ):男性は紫、女性は朱色の帛紗を使用
煤竹:古民家の屋根に使われてきた竹を材料にしたもの。
長年囲炉裏の煙で燻され、独特の風合いを持ちます。
近年は貴重なものとなっています。
帛紗(ふくさ):茶道具を清めたり、お茶碗やその他の道具を拝見するときに使用する、ハンカチのような布
裏千家
いわゆる「分家」である裏千家は、伝統を重んじながらも新しいスタイルを取り入れ、現在は最も多い弟子数となっている流派です。
カルチャースクールや学校茶道の展開、海外への茶道の普及など、茶道を広げる活動を積極的に行ってきました。
【道具、作法の特徴例】
- 抹茶:泡立てる
- 茶筌:特別な場合以外は、白竹の茶筌を使用
- 畳の歩き方:右足から部屋に入り、一畳を4歩で歩く
- 帛紗:男性は紫、女性は赤色の帛紗を使用
武者小路千家
三千家の中で、規模は比較的小さい武者小路千家。
茶室や所作の、無駄のない合理性が特徴です。
【道具、作法の特徴例】
- 抹茶:泡立てない
- 茶筌:紫竹(しちく)と呼ばれる、黒っぽい竹で出来た茶筌を使用
- 畳の歩き方:柱側の足から部屋に入り、一畳を6歩で歩く
- 帛紗:男性は紫、女性は朱色の帛紗を使用
このように細かな作法や道具に違いはありますが、茶をたてて客人をおもてなしする、という精神は共通していて、対立している訳ではありません。
三千家は共存共栄し、流派間で争うこともありませんでした。
このことも、現在も長く続く茶の湯の家元としての秘訣なのでしょうね。
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三千家の家元
家元とは、それぞれの三千家の門弟を統率する当主のことです。
現在の三千家の家元についてご紹介します。
表千家は、15代・猶有斎(ゆうゆうさい)千宗左(せんそうさ)氏が家元です。
2018年に家元が猶有斎氏に引き継がれたばかりです。
年齢は50代前半(2021年時点)で、フレッシュな家元ですね。
裏千家は、16代・坐忘斎(ざぼうさい)千宗室(せんそうしつ)氏が家元です。
年齢は64歳(2021年3月時点)。
足に負担をかけない「あぐら」での点前を考案したりと工夫されています。
大徳寺塔頭(たっちゅう)・聚光院(じゅこういん)で営まれた法要では、16代の千宗室家元が茶をたて、又玄斎に献茶した。茶会は総見院など三つの塔頭で開かれ、又玄斎ゆかりの茶道具も用意された。
京都)裏千家の8代家元しのぶ 大徳寺で250回忌:朝日新聞デジタル https://t.co/awxSZZl2Ri
— スイシ🤘京都武家点前煎茶道 (@rootsoftea) February 3, 2020
武者小路千家は、14代・不徹斎(ふてつさい)千宗守(せんそうしゅ)氏が家元です。
年齢は75歳(2021年3月時点)。
【みちしるのおススメ動画「京都 茶の湯」より】千利休の伝統を受け継ぐ #千武者小路千家 には、代々、大切に守り継いできた井戸があります。「水は、我々の命。」と第14代家元の千宗守(せん そうしゅ)さんは言います。 https://t.co/YmtveUQVaf #みちしる #京都 #茶の湯 #千利休 #千宗守
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) November 13, 2019
また、将来の15代目にあたる若宗匠・千宗屋(せんそうおく)氏は45歳(2021年3月時点)。
7/20開催の「比叡山仏教文化講座」では、茶道武者小路千家15代家元後嗣 千宗屋氏に講師をお務めいただきます!
宗屋氏は比叡山とご縁が深く、天台宗の僧侶でもあり、厳しい修行を経験されました🙏🏻
今回「御山とお茶」と題してご講演いただきます🥺✨#延暦寺 #茶道
🔻https://t.co/KHHoB81JVe🔻 pic.twitter.com/wb7T5Rvtxn— 延暦寺【公式】 (@enryakuji_hiei) June 14, 2019
講演や雑誌記事、インスタグラムなどで、わかりやすい言葉、ビジュアルによる茶道の啓蒙活動をしておられます。
千利休の流れをくむ三千家でも、色々な特徴があることが分かりましたね。
もし茶道に興味があり、教室を選ぶときは、それぞれの違いを参考に、どれが自分に合った流派かを考えてみてくださいね。
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